ギター上達コラム

     「雫」の瑞々しさを

 

舞台に上がるとき、いつも願うことがある。奏でる一音一音に、「魂を揺さぶるような音色」をまとわせたいと願う心だ。

ある日、ふっと心に浮かんだ言葉がある「雫のように」。思わず知らず口を突いて出た。朝露の玉。ぷるぷると光る雫のごとく瑞々しい音色。それこそが、「魂を揺さぶる」演奏の要だという想いが脳を支配した。

 

「雫」のように瑞々しい音色をまとうメロディー、それを支える伴奏。突然降ってきた言葉がイメージを持ち、秘技探求への想いを生き生きと牽引していく。

紡ぐ音色の模索と検証の日々。それは、一歩一歩の小さな積み上げの連続である。根気の要る作業だが胸躍る気づきの旅でもある。こんな時は、余程気を付けないと我を忘れ「思わぬケガ」に繫がる落とし穴が潜んでいることが多い。だが、それは己の感性と力の限界とのシーソーゲーム。息を凝らした緊張感と気づきの至福が幾重にも幾重にも積み重なり、無意識の地熱を押し上げていくのだ。未完の求める音色が胸の内に在る限り、この旅に終わりがくることはない。

これまでも、誰と交わしたわけでもない「約束の地」を求める感覚のなか、無我夢中で突き進んできたが、年齢を重ねてきてつくづく思うことは「待つことを厭わない」楽観の気分が今を支え、消えることのない内なるエネルギーを燃やし続けているということだ。

 

弾いているギターのサウンドホールから、「雫の音色」が強く弱く響きながら聴こえてくることで、心が洗われていくような感覚になれるだけでもラッキーなことだが、演奏する時メロディーラインを心の中で歌うことで、必然的に歌に合わせた深い呼吸ができているからなのだろう。これまで抱えていた様々な問題が、自然に収束に向かっているという感覚が持てることがこのスタイルの一番の効用と言える。心躍らせる「雫の瑞々しさをまとう音色」。未だ私の脳裏にしかない音の粒たちではあるが、スペインの名曲集、「AlbumⅤ」に投影できることを願いつつ日々研鑽を重ねている。

 

さて、具体的な練習についてである。普段の練習において、2つのことに集中する必要がありそうだ。一つには音色に深く関わるタッチのこと(上達コラム第19回参照)であり、また一つには、メロディーラインを明確に意識した「心の中で歌う演奏」(上達コラム第92回参照)のことである。

言葉による説明だけではよく分からないだろうが、心配することはない。求めてあれこれ試す姿勢さえあれば大丈夫だ。手に入れるまでは決して諦めず挑戦し続けた者だけが観る世界があるように、それは必ずやってくる。

出来ると信じ、「雫」の瑞々しさをまとわせた至福の音色で演奏している自分をありありと思い浮かべることだ。私自身もまた、祈るように温めながら日々の練習に向き合っている。

 

親指の腱鞘炎が思いのほか長引き、録音の事も足踏みを余儀なくされてはいるが、そこに必ず意味はあると信じ「腐らず・焦らず」一歩一歩、前を向いて進んでいる。目下、ギターを愛する多くの人たちに「AlbumⅤ」を通して「雫」の演奏を伝えていきたいと願う想いが最大のモチベーションになっている。

                            2022.07.01

                                                          吉本光男