ギター上達コラム

       第73回    「夢」の別名

 

皆さんの「夢」はどんなときに生まれ、どんな風に膨らんできただろうか。なかには、「私にはこれと言った夢がない」と嘆く人もいたりするが、それはそれで嘆くことでも焦ることでもない気がする。

 

今月の「上達コラム」は、「夢」についての話である。私の場合、「ギター道を究めたい」という「夢」がどのように生まれたのかと考えるが、これが正解というものに辿り着かない。プロのギタリストになったことすら幾つかの偶然が重なった結果にすぎないという気さえする。ただ、幾つかの偶然の縁を生かして必然に持っていける程ギターが「時を忘れて夢中になれる」ものだったことだけは確かだ。

 

「好き」の道を歩いている途中に出会った幾つかのご縁が重なって「想い」が生まれた。やがて「想い」は小さな「夢」になり、「夢」は明日への「希望」に繋がり、そのまま人生を「生きる力」になっていったというのが正直な感覚であろうか。

つまり、幾つかの偶然が重なってギターに夢中になり、ギターと共に一歩一歩と歩いていく中で多くのご縁と出会い、“やがて夢が生まれ膨らみ今日に至っている”というのが平凡ではあるがぴったりする感覚なのである。

 

そして今では、ギターなしの人生は考えられない程に「ギター道」は、私の人生を彩り、生きる事とぴったり重なっている。つまり、「夢」というものは持とうとして持てるものではなく、自分で選択した「道」を一生懸命に歩いていく中で少しずつ少しずつ「らしい形」になっていくもののようだ。はっきりしているのは、頭で考えているだけではだめで、それを「アクションに移す」事が大切ということだ。それが「巨大な壁」に見えたとしても挑むことを怖がらず、諦めずにやり続けていくことで「はっきりとした形」を現してくるものだ。「夢」は、行動することでしか掴むことはできないものだからである。それが小さな夢であったとしても、夢は人生を牽引していくほどの力を持っている。諦めさえしなければ、次第に確かなものに育っていくはずだ。挑戦し続ける中で、夢見るパワーもまた力強く育っていくからである。

 

夢はまた、物語るものでもある。熱く「夢」を語ると、「ホラを吹いている」と思われることがある。しかし、僧侶の名前は忘れたが『ホラは夢の別名。大いに吹くべし』と言った故人がいる。言い得て妙である。夢に繫がる「ホラ」には、大宇宙の力をも味方につけるほどの熱量が潜んでいることを知っているだろうか。本心が喜ぶ「ホラ」は、心の宇宙に、消えない情熱を燃やし続ける途轍もないエネルギーを持っている。だが、そのことに気づいている人は意外に少ない。

 

カラ元気でもいい。心に素直な「ホラ」を吹き、大いに「夢」を語り合おう。「ホラ」は、力強く「夢」を育てる「無敵のエネルギー」なのだ。ただ、最後まで行動の伴わない「ホラ」は単なる「夢物語」で終わることになる。私たちの住む地球は行動の星なのだ。挑戦のない所に「夢」は住めない。人には「ホラ吹き」と思われる程の夢を語り、幾つになってもそれに向かって挑戦し続ける人でありたいものだ。

 

                        2020.10.01

                                                  吉本光男