ギター上達コラム
分かれ道
ギターも長く弾いているといろいろな癖がついてくるものだ。指導者について学んでいれば癖が小さなうちに指摘、修正してもらえるが、独学であれば自分の判断を基に自分流の経験の中で学んでいくことになる。
誰にとっても上手くいくやり方というものがあるわけではなく、学び方は人それぞれだ。ただ、教室にギターを習いに来た人に対してなら、基礎・基本を大事にしながら段階的に学んでもらうことになる。
つまり、ギター愛好家としてギターを楽しむ程度でいいと思っている場合であっても、ギターの機能に添った持ち方や構え方、私自身の経験や学びからよりよいと考えるに至ったタッチ法などについて、ギターを上達させていく上で必ず必要になってくる内容を根気よく指導される立場になる。
この時、既に何らかの形でギターをやってきている人の場合、これまでの経験が理解を深める鍵になる人と、経験が上達の壁になる人とに分かれるようだ。
経験が壁になるというのは、話を素直に聴く態度が難しい人の場合をいう。聴いた言葉を自分流に変換して解釈し、無理なことを言われている気分になったりするのだろう。「でも、できないし・・」や「だけど、難しくて・・」が多くなってしまう場合だ。自分のこれまでの癖から抜け切れず、こちらの言葉が素直に入っていかないのだ。
確かに、身に付けてきたことを直すのはたやすい事ではない。しかし、上達を目指して教室に入って来たのだからギターの持ち方から始まって、合理的なタッチ法や運指のつけ方等々、技術の「細部に宿る良きもの」を習慣として身に付けていって欲しいと願う教授者の話が耳に入っていかないというのは実にもったいない。反対に、受け取る覚悟で来ている人は、こちらの発する言葉の一つ一つに耳を傾け「発せられる言葉には必ず意味がある」と、徹底した態度で話を聴く。だから、もらった言葉の真意を確かめるべくその場で質問をしたり、実際にやり直しを繰り返したりしながら実践の中で言葉の中身を確かめようとするのだ。
話す言葉には「必ず意味がある」という意識で聴いて練習するのと、諦めて「できない自分を肯定してしまう」のとでは結果はおのずと違ってくる。
前者は、教室で交わす会話の端々にこぼれる言葉の中にまで宝を見つけていくのに対して、後者の場合は大事なことも聞き逃したり、見過ごしてしまったりすることが多い。どちらがいいかは一目瞭然である。上達を目指して教室に来ているのだから、是非、技を盗むくらいの気持ちで多くを学び取って欲しいと願っている。「道」を生きる人生において、心に「憧れ」を持つことの有益性は案外こんなところにあるのかもしれない。「憧れ」の存在は時に、「分かれ道」に立つ者の心に正しく光を当てその目標を見失わせることをしない。
毎月の「上達コラム」が、ギター上達における「分かれ道」の小さなきっかけ、気づきの踏み台になっていくことを心から願っている。
2022.12.01
吉本光男