ギター上達コラム

      胸騒ぎの「ハウザー」

 

私の使用ギターの中でも「ハウザーⅡ世」とは長い付き合いになる。1980年ドイツ生まれであるが、アルゼンチンを経由して私の手元に来たのは1983年だから作られてから3年が経過していたことになる。買った時、その表面版は白磁のように白かった。当初、知り合いの若いギター製作者から「ハウザーの作りを研究したいので見せてもらいたい」という申し出でがあった。彼によると、表面版が他のハウザーよりもかなり厚いことが特徴であるという。年代的に見てハウザーⅡ世の遺作と言えるものではないか等々、ギター談議に花を咲かせたものである。

 

「ハウザーⅡ世」の表面版が非常に厚いということが多分に影響していたのであろうか。孤高の透明感はあっても豊かな響きをまとわない細くて固い音色の印象が強く、なかなか手に馴染まない非常に頑固な楽器であった。不思議なご縁で私のところに来てくれたギターという思いがあり、いわゆる名器と言われるギターを買っては手放していた当時にしては珍しく、この「ハウザーⅡ世」だけは手放すことなく手元に置き、舞台演奏でも使用したりしながら今に至っている。その間、長い歳月が過ぎている。

 

 頑固一徹の「ハウザーⅡ世」も、手元に来てから20年が過ぎる頃からは次第に豊かな響きをまとうようにはなってきていた。しかし、何故か私には澄んだ孤高の透明感を放つ名器であるがゆえに「胸騒ぎのトキメキ」を表現するのは苦手であると、勝手に決め込んでいるところがあった。ところが最近、新しい奏法第97回上達コラム参照)の検証を続けている最中、「胸騒ぎトキメキ」の演奏を回避していたのは、実は私自身の思い違いによるものであったということが判明した「事件」が起きることになる。

 

それは、団体会員である合奏団「アンダンティーノ」10月の練習日のこと。その日、新しい奏法で曲を聴いてもらう新奏法検証の時間を練習会場で持つことができた。楽器はもちろん、愛器「ハウザーⅡ世」。ビロードのように温かい音色で立ち上がり、響きを残しながらサウンドホールを飛び出していくメロディーを深く意識しながら、新しい奏法で演奏した。演奏直後に、その一曲一曲の生の感想を会員の皆さんが異口同音、熱く伝えてくれた。

 

「音粒が言葉を語っているようだ」「ギターがおしゃべりをしているよう」「まるで、ギターが物語を紡いでいるみたいだ」「漂う空気感が違う」「何だかセゴビア世界を想起する」

頑固で孤高、雑味のない研ぎ澄まされた音色が特徴の「ハウザーⅡ世」が「胸騒ぎのトキメキ」を語る「おしゃべりなギター」に変身していたのだ。つまり、問題はギターではなく私自身の意識の在り方にあったということになる。検証を続ける中である程度の手ごたえは感じていたが、そのことは「ハウザーⅡ世」にとっても名誉回復、嬉しい「事件」となった。

 

この感動は、今も鮮明に体に刻まれている。それは、諦めきれずにここまで抱えてきた「熱望」がやっと叶ったような、心躍る嬉しさを味わうことができた瞬間でもあった。

今、求める音色に限りなく近づいている「ハウザーⅡ世」の存在は、演奏家としての今後の活動を支える大切な同伴者として、ますます欠かすことのできない存在になっている。

 

2008年以降の「AlbumⅡ」「AlbumⅢ」の使用ギターとして活躍してくれたことを嬉しく思い出す。(ちなみに「AlbumⅣ」だけは「ハウザーⅢ世」使用である)来年リリースを予定している「AlbumⅤ」では、再びハウザーⅡ世が活躍してくれるに違いない。

                        2022.11.04

                                                     吉本光男