ギター上達コラム

    第83回「本気の気合」

 

演奏に限らず、本気・本腰の事には「気合」が入るものだ。だから、気合が入っていない演奏を聴くと本気・本腰ではないのだと思ってしまう。「全て気合だ!」等というと言い過ぎのように思うかもしれないが、人生のことは大抵「本気の気合」で決まったりする。

 

演奏の場合、「気合」が入り過ぎると上がったりすることもあるが、「気合」を上手くコントロールして取り入れることができれば真に心に届く演奏になるのではないだろうか。そこで今月は、「気合」という「目には定かに見えないが確かにある心の姿勢」について考えてみたいと思う。「気合」を演奏の言葉で言えば、集中して一音一音に「魂を入れ込む」という感覚に似ている。暗譜した曲を楽譜のままに弾くだけでは、決して心には伝わらないように、「気合」の入っていない演奏に人は感動しない。「何としても曲の心魂を伝えたい」と、そう思った時の「何としても」の精神が「気合」に繫がる。その意味では、「気合」とは、「熱」と同義語になるのかもしれない。ただ、「熱」は身の内から湧いてくるエネルギーだが、「気合」は意識することで身の内に入れる心の姿勢だから、自分でコントロールできるものと言える。つまり、意識することによっていくらでも取り入れることができるということだ。

 

では、「気合」は具体的にはどういう体の動きとして現れるのであろうか。感覚的な言い方になってしまうが、演奏で「気合」を入れようとするとき一瞬息を止める。つまり、大事なのは「呼吸」。「呼」と「吸」を司る「息」である。その瞬間の動きとしては全身が僅かに「しなって留まる」感じだ。全身の「気」を、一瞬のうちに一所に集めるための巨大なエネルギーが、「しなる形」になって表に現れると言ったらいいのだろうか。

 

身体に伴って弦を押さえる指もまた、「瞬間しなってそこに留まる」。それは瞬間の技だから意識しないと見過ごしてしまう。息を集め、大事な一音一音に「魂」を入れた演奏にするためには、「イメージの設計図」(コラ80号参照)必要であることは勿論だが、飛び出す音粒たちを生き生きと躍動させていくだけの演奏技術もまた欠かせない要素だ。簡単にいく話ではない。しかし、五分五分で迷っているぐらいなら挑戦してみることだ。私自身もまた「気合」を入れ、躍動する演奏の実現に向けて日々精進、上達を目指し続けている。

 

聴き手もまた、演奏者から発せられる「気合」を感じ取る力を身につけていきたいものだ。「心の姿勢」は、演奏する者の「何としても」の想いであると書いた。それは、演奏者の中に立ち昇る「熱」にも通じ演奏者が奏でる音色や響き、揺れの中に必ず立ち現れる。演奏する喜びもそれを見聴きする楽しさも、相互理解の関係の中でこそ深まっていく。双方が力を養い、音叉のように響き合う関係を築くことで最高の音楽空間が生まれるだろう。

 

最後に、「気合」は肩の力を抜いた演奏でなければ取り入れることは難しい。心の姿勢であるから、固い身体には取り込むための余裕が生まれないからだ。まずは肩の力が抜けるところまで、諦めずにこつこつ練習を積み重ねよう。「本気の気合の世界」は、あなたの演奏を確実に楽しいものにしてくれるはずだ。

                        2021.08.01

                                                  吉本光男