上達コラム
第67回 「自分の今」 に真摯に向き合う
コロナウイルスの脅威に晒されながらも、3月を無事に乗り切れたことに感謝している。完全収束には時間がかかるだろうが、手洗いの励行を徹底し前向きに過ごしていこう。
早いもので、2分20秒以内に収まる小品を「ツイッター」にupし始めてから既に3か月が経とうとしている。小品といえども自分のこだわりを大事に様々な工夫をするようになるから初級、上級に関わらず演奏技術の上達には大変役立つアイテムである。画面は、「運指」や「タッチ」「弦の使い方」などが見ていて分かるようにズームした映像になるよう心掛け、好きな曲を楽しみながら続けている。ギター愛好家の方たちの日頃の練習の参考になれば幸いである。
upするようになってから、気持ちにちょっとした変化が起きている。これまでも小品だからと侮る気持ちはさらさらなかったし、今も、どんな小さな曲でも気持ちを込めて届けたいと願う心に変わりはない。ただ、これまで引っかかりなく弾いていたフレーズが何だか気になったり、消音や残響などの微細な部分がこれまで以上にいちいち気にかかったりするようになった。わずか2分程の曲であっても、自分の演奏を背負うことになるのだ。一発勝負のリングに上がるわけだから、それなりの覚悟は必要になる。「ちょっと散歩がてらに・・・」という安易な気分で臨んでいるわけではないから、当然と言えば当然の変化なのかもしれない。
その言葉は、私の中に突然降ってきた。「どんな曲でも当たり前に在るわけではない」勿論、人によって曲の好き嫌いはある。だが、どんな小さな曲でも「尊重する」という気持ちで向き合うことの大事さを、稲妻のように呼び覚まされた感覚を持った。以来、「どうすればこの曲が一番輝くか」表現の色々を工夫する楽しさに、時間が経つのを忘れてしまう自分が居る。ツイッターへのupでは、最高限度枠が2分20秒なので小さな曲を選ぶことになる。小品なので弾けて当たり前というより、出会えた喜びを深く感じながら最大限の工夫を重ねて弾いていきたい。そんな気持ちが日を追う毎に強くなっている。
僅かであっても工夫できた時の喜びは、自分自身の演奏のモチベーションをぐんと持ち上げてくれる。そして、演奏そのものに必ず「よきこと」をもたらしてくれる。難しい曲に挑戦し、それを克服していくときのワクワク感が弾き続けるための大きなエネルギーになっていくのは確かだ。だが、小品を素敵に仕上げる工夫に向かうときのワクワク感もまた、それに勝るとも劣らないパワーを持っているということの証であろう。年齢・性別・国籍に関係なく、誰もがワクワクできる場所として「ツイッター」のupに関与できることは実に有難いことだ。クラッシックギター曲には、大小に関わらず弾いてみたくなるようないい曲が沢山ある。自分の「今」に真摯に向き合うためにも、何処でもいい「表現(発表)の場」を持つことは、「上達」に繫がる必要条件と言えそうだ。
初めは「再生回数」が気になったりもするだろうが、好き嫌いは何処にもあるものだからそこに執着する必要は全くない。好きな人が好きに再生して何処か参考にしたり、聴いて楽しんだりしてくれていることをイメージできれば、それだけで十分に楽しくなる。工夫を重ねることで、小品といえども「何度も聴きたくなるような」光を放つ曲になるのであれば、ギタリストとして冥利に尽きるというものだ。
2020.04.01
吉本光男