ギター上達コラム
第65回
スキルを超えて 聴く人の心が震えるような演奏を届けたい
令和2年。今年の目標を定めて1か月が過ぎた。弾き手である私自身の心が震えるような演奏を求めて様々に工夫を凝らしながら日々、目標に迫るための精進を続けている。スキルは技術であるから、磨けば磨くほど確かなものとして身につけることができるものだ。その意味では、これまでに「上達コラム」で紹介してきたことは「上達の為のスキル」である。ただ、スキルは「あくまでも上達の為の実践方法の一つ」である。知っているだけでは意味がない。自分なりの工夫が必ず必要である。つまり言葉を変えるなら、何度も何度も実際にやってみて、自分に合わせていくことをしないスキルは「絵にいかいた餅」でしかないということだ。
「自分でいいと感じるまで」とコラムに書いた。私自身もずっと自分の紡ぎ出すメロディーに耳を傾け、「いいと感じるまで」今も様々に工夫を凝らしながら研鑽を積んでいる。そのことは、ギターに関わる者である以上、ずっと続けていかなければならない「練習の要」と思っているからである。その上で、今月は、「スキルを超えて 心が震えるような感動」を届ける演奏のために必要なことについて考えてみたい。
大げさに言うなら自分の人生をかけている「ギターの道」である。長い道のりの中で、「ギターに秘められた楽器としての可能性と その魅力を最大限に生かした演奏がしたい!」そういう熱い思いが追求の最大のエネルギーとなっていた。自分自身のために、演奏している私自身が感動できるほどの演奏がしたくてステージに上がる。結果として、来ていただいた方々にも感動を届けることができるに違いないという思いがあった。今でも、自分自身が感動できる演奏でありたいという気持ちに変わりはない。ただ、今年の目標には「スキルを超えて」と前置きを入れた。思えば、昨年の後半は様々な困難が次々に目の前に立ちはだかってきた。お陰様と幸運と、多くの人たちの助けによって乗り越えることができた激動の6か月間があったからであろうか。今年になって、胸の奥でふつふつと湧きあがってくるものがある。
「スキルを超えて 聴く人の心が震えるような演奏を届けたい」
勿論、確かな技術は必要だ。技術を磨くことに終わりはない。ただ、高度な技術の獲得が、使いようでは「もろ刃の刃」となることも知っておく必要がある。特に、若い時は高度なテクニックを要する曲を流暢に弾くことにばかり意識がいってしまいがちだ。「立て板に水」饒舌な話が人の記憶に残りづらいのと同じように、バリバリ達者な演奏は、私の心にとどまり震えるほどの感動を与えることはない。反対に、決して流暢ではないが愚直なまでに思いを伝えようとしている演奏には、心が動かされる。そこに必ず、磨き抜かれた確かな技術が裏打ちされていることを知っているからである。私は、後者の様な演奏の在り様に心惹かれる。「スキルを超えて」それは1枚のコインの表と裏の関係に似ている。表と裏は同時に見ることはない。「表(心情表現)」があれば、「裏(技術)」は見えなくても必ずあるのだ。
今さらとも思うが、そのことを深いところで意識して今年のスタートが切れたことを嬉しく思う。昨年、優しさの中でご縁を結ぶことができた沢山の皆様のお陰に感謝である。今年も「好き」を更に深掘りし、「焦らず」「諦めず」「前向きに」精進していくつもりだ。光に向かって、共に頑張っていきましょう!
2020.02.01
吉本光男