ギター上達コラム

         第57回    ミロンガ

                

南米の作曲家たちというテーマで作った「AlbumⅣ」の収録曲に、カルドーソ作曲の「ミロンガ」が入っている。ニッポニカによると「ミロンガ」の概要は、以下ようである。

『「ミロンガ」は、アルゼンチンの四分の二拍子の歌謡、ないし舞曲。起源は19世紀後半にキューバからもたらされた舞曲ハバネラにある。ブエノスアイレスなどの都市部で力強いリズムと速いテンポをもった舞曲として発達。後にタンゴの誕生にも大いにかかわった』

南米の曲集であれば「ミロンガ」もということで、この曲は初めから「AlbumⅣ」に入れようと決めていた。多くの演奏家が様々な表現方法で演奏しているいかにも南米の曲という感じだ。ゆらゆら揺れる序奏の部分は、海を漂う「海月(くらげ)」のダンスを連想させる。突然波打つ中間部からの音の刻みは、恋する海月の深い嘆きとやるせなさであろうか。自分なりにイメージして演奏してみたが、思うように「息」が繋がっていかない。収録では一番初めに手掛けようと思っていたこの曲に、最後まで悩まされてしまうことになった。

 

というわけで、今月は、「AlbumⅣ」の収録曲「ミロンガ」との対話を通して深く考えることになった「明確にイメージすること」の重要性について書くことにする。曲想を考えイメージしていく場合、楽譜を読み込み、繰り返しの練習を重ねていく過程を通して「楽譜との対話」が深まり、曲全体のイメージが創りあげられていく。この場合、暗譜が終わる頃までには自分なりの曲の解釈は出来上がってくるし、その後の弾き込みで曲全体のイメージはまとまり感のある確かなものになっていくことになる。しかし、「ミロンガ」に関して言うなら、手順通りにはいかず随分回り道をした気がしている。

「ミロンガ」との格闘を通して、私の中にようやく明確なイメージが確立したのは、収録前の圧倒的な楽譜との「対話」と繰り返しの「練習」は勿論の事だが、それ以上に演奏した「録音との対話」にあった。録音されたものを客観的に自分の耳で確かめることができたことで曲全体のイメージが生き生きと躍動するものになっていったのだ。

曲全体のイメージができるということは、ゴールまでの演奏ビジョンが明確になるということであり、イメージを具体的に言語化することが可能になるということである。それは、とりもなおさず、演奏の「息」が整うということに繫がっていく。演奏において「息」を自然体でコントロールしていくことは、何よりも重要課題になる。演奏中に慌てたり焦ったりすることから解放され、集中する感覚と直結するからだ。ギターのホールから飛び出す音たちが、意志を持った「一本の糸」となってゴールまで繋がっていく感覚になるのは、「息」のコントロールがうまくいっている時なのである。「ミロンガ」は、録音にてこずった分「曲全体を明確にイメージして弾くこと」が演奏においていかに重要であるかということをあらためて気づかせてくれた。

 

上述の事から一つの結論が見えてくる。自分の練習を録音して聴くことを普段の練習に取り入れていくことは、「ギター上達」において非常に有効な手段になるということだ。今はスマホ等でも簡単に録音ができる時代になっている。普段の練習において、部分的でもいいので自分の演奏を録音して聴いてみることを心がけてみよう。自分の演奏の良し悪しがはっきりする分、「シビヤ」ではある。だが「ギター上達」への道は、こうした地道な練習の積み重ねの中にこそ在る。私自身、次なる「AlbumⅤ」に向けて普段の練習を録音して聴くことを課題にしてとりくんでいる。挑戦に立ちはだかる壁は、己の成長には欠かせない肥やしであることを肝に命じたい。

                           2019.06.07

                                                                            吉本光男