ギター上達コラム
第52回 「存在感のある弱音」
2019年の幕開けです。
新年 明けまして おめでとうございます。
いよいよ、今年の4月には元号が変わる。昭和・平成と生きてきて、新しい次の元号の時代をも生きることになる私たちは、3つの時代を生き抜くことになる。何とも感慨深いことである。ここまで、自分らしく自分の好きな「ギター道」に邁進できていることに、改めて腹の底から感謝の気持ちが湧いてくる。今年もこの一本道を、皆さんと共に喜びをもって歩き続けられるよう健康に充分配慮していきたい。
さて、2019年の初号である。今月は、現在の新たな境地について語ってみたい。昨年の最終号で報告したコラム、「一本の糸」を意識した奏法のことを覚えておられるだろうか。第50号の「間を奏でる」とも関連の深いこの奏法を徹底して練磨していくなかで、「これまで感じたことのない音の景色」が胸のうちに広がってくる喜びを日々感じながら過ごしている。それは、長年の夢でもあった「聴く者の心を引き付ける演奏の要諦」が手の内に入った感覚である。
「あれ?この曲ってこんなにいい曲だったかな・・」
「今まで弾くことに夢中で気づかなかったが、こんなにもいい曲だったのか・・」これまでに幾度と弾いてきたはずの自分の持ち曲であるにもかかわらず、初めて聴くような新鮮な感覚に包まれて感動している自分が居る。ざっくり言えば、「存在感のある弱音」を生かす演奏の創り方が明確にみえてきたということだ。「存在感のある弱音」とは、
「ピントの合ったクリアな弱音」と言い換えることができるだろう。「ピントの合ったクリアな音」を使って演奏を創ることはできても、「ピントの合ったクリアな弱音」を演奏に生かすことは非常に難しい。だが、そこを願う心、つまりそこを意識して演奏したい気持ちがあれば、必ず「聴く者の心を引き付ける演奏の要諦」は見えてくる。具体的に話を進めよう。
まずは、「ピントの合ったクリアな弱音」を出したいと熱望する心が自分の内にあるのかどうかである。パワーやスピードで圧倒する演奏ではない、「染みてくるよさ」を感じさせる演奏をあなた自身が求めているかどうか、それが物語の「はじめの一歩」となる。次の段階では、自分の出している音をよく聴くことだ。繰り返し、繰り返し聴き続ける根気が問われる。自分には無理だと諦めたり、できるはずがないと放り出したりしないことだ。必ずミューズ神は、「クリアな弱音」をもって微笑みかけてくる。「ほしいと思ったら」どこまでも、「焦らず」「くさらず」「諦めず」求め続けていくことこそが肝要なのである。そして、これが最も大事なことだが、感じ取った「存在感のある弱音」を普段の演奏に取り入れそのことを「在ることが当たり前」にまでしていくことだ。単発的には出せても、演奏の中で生かし切ることは本当に難しい。だから、普段の演奏の中で常に意識して取り入れていきたいと思う心が必要になってくる。クリアな弱音は懐の深い音を醸しだす。今、手元にあるその曲を「名曲」にするのはあなただ。迷うことなく、素直な心で邁進してほしい。
ホセ・ラミレス3世は、「ギターはサロンの楽器である。本当の遠達性のある音は、クリアな弱音だ」と言っている。ジュリアン・ブリームは「大きすぎる音は、厚かましく聴こえる」と表現している。無駄に大きな音を出そうとしない方が、より魅力のある演奏になるということだ。
目に入る“おたまじゃくし“ばかりに気を取られず、「聴く者の心を引き付ける演奏」の実現を目指し技術を磨き心を磨き、2019年をさらに輝かせていくために喜びをもって共に励んでいこう!
2019.01.01
吉本光男