上達コラム
第51回 一本の糸
10月20日、刈谷市の北部生涯学習センターで行ったコラボコンサートでは、多くの嬉しい感想を頂いた。その中に、「今回の演奏は、いつもと違って何だか胸に染みてきた」といってくれる人がいた。これまでであれば、有難く受け止めその心遣いに感謝することで終わっていただろう。だが、今回の演奏は、自分でも「“間”を奏でる」ことを意識した演奏ができた気がしていただけに、頂いた感想が私自身の胸に強く響いた。練習の段階から強く意識していた核心部に気づいてもらった嬉しさである。
今月は、そのコラボコンサートの演奏で感じたことを一歩踏み込んで述べてみようと思う。
「“間”を奏でる」演奏は、物語を紡いでいく感覚に似ている。このことは先月号で述べた。物語を紡ぐということは、演奏が始まって終わるまでが「起承転結」一本の糸に貫かれているということだ。コラボの演奏では一本の糸が、奏でるメロディーを導くようにときに激しくときに優しく、途切れることなく思いのままに進んでいく感覚を感じながら演奏することができていた。途中、ふり幅を感じさせながらいくつもの糸に枝分かれしてはいくが、やがてまた穏やかな一本の糸となって収束していく。太くなったり細くなったり、幾重にも重なりあって物語を繰り広げていくその様は、まるで一本の糸が豊かな錦を織っていく動きに似ていた。これまで、自分の演奏をそんな風に感じながら弾いたことはなかった。
大きな曲だと、さあ、始めるぞ!と、スタートした時点から終わりに向かって懸命に弾くことに追われ、繋がる一本の糸を意識する余裕もなく弾き進めていた気がする。それゆえに、ミスなく丁寧に心を込めて弾いた感覚はあっても、自分の演奏に満足するということがほとんどなかった。ところが今回は、スタートから一本の糸を感じながら「“間”を奏でる」演奏を意識することができた。それは、最初の一音を出した瞬間、既に自分自身の意識が一本の糸になって舞い始めたような感覚である。演奏者である私の心が、動き始めた一本の糸に導かれているのか。一本の糸が、私の演奏を引っ張っているのか定かではない空間が広がっていく。このときの感覚は、演奏技術や演奏テクニックによる変化で起きていたのではないことだけは確かだ。「意識する対象が変わった」というのがよりぴったりする表現である。
まだイメージ通りの演奏というわけにはいかなかったが、それでも頂いた感想が、自分でも納得できるものになったことは素直に嬉しいと思う。演奏者として、今後への大きな勇気を頂いた気がしている。今でも、ギターを弾きながら私の中に実感としてこみ上げてくるものがある。それは、先回で50回を迎えた「上達コラム」への思いである。ばらばらに存在していたコラムの一つ一つが、今まさに「一本の糸」に繋がったという感覚である。これまで積み上げてきた演奏への思いや新しい気づきが、ようやく「一本の糸」に繫がり、美しい光となって紡ぎ出す音たちに降り注いでいくような、そんな至福を味わっている。
2018年の最終号で、このような報告ができたことを嬉しく思う。来年は、いよいよ「ソロアルバムⅣ 南米の作曲家たち(仮名)」に向けて始動する。その時を待っていたかのような今回の発見に心から感謝である。この貴重な気づきを「ソロアルバムⅣ」に反映するためにも、技術と同時に自分自身の人間力を高め、更なる研鑽を積んでいきたいと願っている。アルバムの完成は、2019年6月の予定である。
期待して待っていて欲しい。
2018.12.01
吉本光男