ギター上達コラム

          第50回    「間」 を奏でる

 

 ラウロの「カローラ」を弾いていた時のことである。自分でも「何ともいい感じの演奏」になったと、暫くしみじみしていたのだが、しばらくすると不思議を探る心がむずむずと動き出してきた。「はて、さて、何ともいい感じのこの流れの中には、どういう可能性が隠れているのか。」同じ部分を何度か弾いてみる。何度弾いても「何ともいい感じ」の感覚はなくならないばかりか、ますます雰囲気を持って迫ってくる。弾きながら、聴きながら「いい感じの理由」を探し続ける。「いい感じ」の雰囲気は、深い呼吸に乗って流れるメロディーが、次のフレーズに移るその瞬間に立ち現れ小さな緊張と共に消えていく。まるで岩にはじけて舞い上がる波の花のようだ。その小さな緊張は、人の思いが熱をもったときの「息」に似て私の心を熱くした。何処にもわざとらしさがなく、曲想がありありと思い描けた時、「いい感じ」が生まれてくる。

 

メロディーを感じながら、深い呼吸で弾いてみる。すると、「曲」そのものが持つ美しい物語に牽かれるように指が勝手に滑りだし、物語の中でメロディーが躍動していく。演奏者が感じる曲想の原風景。音符が消え、思いだけが走る感覚・・・・・。その時、いきなり浮かんできた言葉がある。「いいですか。この素晴らしい商品がなんと・・19800円、19800円なんですよ!」テレビショッピングでよく聞くコマーシャルの文言である。「そうか、この喋りの中に在る(・・)の間だ!」この僅かの「間」が喋りに命を吹き込んでいる。1秒にも満たな(・・)の中に、聴き手を引き込む秘密が詰まっているのだ。思いもかけず、「コマーシャルの文言」と私の「いい感じ」が繋がった瞬間である。

 

 演奏も同じことなのだ!音楽における「間」、そこには万感の思いが詰まっている。音楽であればなおさらのこと「間」が重要であることは誰でもが知っていることだ。しかし、知っていることと実感として腹に落とし込むこととは、まったく別次元の話だ。腑に落ちる形で掴んだものしか演奏に生かすことはできないからである。それ程に重要「間」のことは腑に落ちてきたが、残念ながらそれを計算で見つけることはできない。なぜなら「間」というものは個人的な感覚であるからだ。人は、それぞれがそれぞれに違う「いい感じの間」を持っている。だから、私にとっての「いい感じの間」が、あなたにとっても「いい感じの間」になるとは限らないのだ。それはつまり、自分で感じ取ることでしか掴めない「究極の秘技」ということなのだ。

 

では、人によって異なる、目にも見えない「間」を演奏に取り込むことに、それほど意味はないのだろうか。答えは、はっきりと否である。

「間」を感じた演奏では、聴く人の心に物語が生まれる。演奏者が、一瞬の空白「間」に祈りを乗せて全体を繋いでいるからだ。「間」が演奏をあと押しし、音楽を深いところで紡いでいくのだ。表現における不自然さはなくなり、飛び出す音たちのすべてが瑞々しく命を宿していく。逆に「間」を感じさせない演奏は、感動とは真逆の「間」抜けの演奏ということになる。「間」の抜けた演奏にならないためにも、「間」を奏でる演奏を心から愉しむ人になろう。

 

「間」を奏でるには、曲の全体が明確にイメージできていることが絶対条件だ。まずは、弾きなれた小さな曲から意識して練習してみるとよい。弾くのに精いっぱいで「間」を愉しむことは難しいと思うかもしれない。だが、そこを研究していくことで演奏が格段に楽しくなることは、既に実証済みである。

                         2018.11.01

                                                                        吉本光男