ギター上達コラム

         第45回 深い呼吸を意識して

 

6月が近い。豊田市のギター教室に行く道すがら、紫陽花が雨に洗われて光っている。毎年見ている道路わきの紫陽花の景色だが、今年はまるで初めて見るかのような風景に見えてきて不思議な気持ちになる。自分の納得するトレモロを手に入れてから、世界が違って見えてくる感覚は単なる気のせいなのだろうか。獲得した理想のトレモロで「アルハンブラの思い出」を弾くことが、最近の日課になっている。いつでも、どこでもすぐに風に乗るトレモロを弾いていると、若いころから弾き続けてきたタレガの「ラグリマ」やアルベニスの「入り江のざわめき」、馴染んできた「アストゥーリアス」に対してでさえ、『違う!』という違和感を覚える自分がいる。『違う!』そのイメージを大事にしながら、それらの曲を弾いてみた。

 

湧き出る新しい感覚に導かれて弾くタレガやアルベニスは、創る音の色彩も、メロディーが欲しがる音の緩急も自在となり、飛び出す音を生き生きと躍動させていく。知らない世界に踏み込んだ感じだ。それは、「深い呼吸に引っ張られて弾いている感覚」に似ている。例えば、

新生トレモロ以前と以後では、世界が全く違って観える。「ねばならない」という枠は消え、「こう弾きたい」という思いだけが深い呼吸にぴたりと寄り添っていく。その心地よさの中で奏でるメロディーは、私の思いを瑞々しさで装い輝きを放っていくのだ。

 

勿論、深い呼吸を意識したとしても、演奏を支えるための技術が伴っていなければ思う程の効果を実感することはできない。これまでに「上達コラム」で何度も述べてきたが「上達のコツはコツコツ」であり、「地道な一歩一歩の練習」であることに変わりはない。だが、一つの突出した実感(私の場合はトレモロであった)は、「こう弾きたい」という思いを深く呼吸に繋ぎ、演奏を意味ある華やぎへと運んでいく。それは、「さらなる上達」に欠かすことのできない確信的な事実であることを実感している。「好き」だけで、愚直に一本道を歩き続けた。「強い憧れ」に後押しされて追求し続けたトレモロへのこだわりの果実は今この手の中に在る。その有難さをかみしめると同時に、求める者への伝道者でもありたいと願っている。教室で私の演奏を聴いていた生徒の感想である。「囚われのない奔放な演奏は、大きく伸びやかで美しい。小さなミスは全く気になりませんでした。」

 

なるほど、私も弾いていて小さなミスは全く気にならなかった。もちろん、どんな小さなミスでもない方がいいに決まっている。だが、気にならないということは、流れの中に物語が具現できているということに他ならない。私の中では、素直に嬉しい感想であった。

                     2018.06.01

                             吉本光男