ギター上達コラム
第44回 トレモロ再考「見果てぬ夢」
2018年、5月の風を受けて世の中は早くも初夏の香りがする。上着を脱ぎ捨て、半そでの人達が街を闊歩し、葉桜になった並木は緑の色を深く刻み始めている。毎年、この季節になるとトレモロの風紋が私の体の奥でプルルプルルと鳴り、心をとらえて離さなくなる。
『心の底から納得のいくトレモロ 梢を揺らす風のように詠うトレモロを紡ぎたい』「見果てぬ夢」に似た熱情は、年齢を重ねるほどに強くなる。「見果てぬ夢」とは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」で九代目松本幸四郎が熱唱した主題歌に通じる歌である。yahooで検索すると、以下のように書かれている。
『たとえ困難が待ち構えていても自らの夢を実現するために邁進する、真理を追究していく、そのような意味が込められています。』
若い頃、セゴビアやイエペスのトレモロに衝撃を受け、強い憧れを持った。“緑の原を吹き渡る風のようなトレモロ、人の心に染み入るトレモロ。そのようなトレモロをこの手で完成させ「アルハンブラの思い出」を納得の心で演奏したい" 弾き手が強く、「色彩を放つトレモロを!」と意識しなければ、聴く者には決して届くことはない。その思いは、「見果てぬ夢」となって今も私を奮い立たせている。ということで、今月の「上達コラム」は「再びトレモロ」の話である。
2016年「6月号」にも書いたように、私が理想として心に思い描くトレモロは、a,m,iの粒をそろえて速く正確に弾くことではない。トレモロに、そよぐ風を感じる奏法。アルハンブラ宮殿の異国の佇まいをイメージさせるような豊かな色彩を放つトレモロ。そのようなトレモロをこの手に獲得したいと、何度も挑戦したがその都度に厚い壁に跳ね返されてきた。それでも諦めきれず挑戦するその繰り返しの中で、気づけば既に50年以上の月日が流れたことになる。
だが、この春、諦められない「見果てぬ夢」を追う中で、それを可能にする新しいアイデアが忽然と私の中に浮かんできた。気づきとは常に、次の気づきのためのスッテップであると観念していたが、今度こそは「最終段階」の予感がする。私の理想とするトレモロ奏法がついに完成したのだ。いきなりプルルと詠いだすこのトレモロ奏法は、メロディーを軽々と風にのせ、豊かな彩りに染めていく。この「新しい気づき」の奏法を言葉で説明するのは大変に難しい。「ソロアルバムⅣ」の「アルハンブラの思い出」で、この新生トレモロを披露できることを楽しみにしている。
勿論、今後、新生トレモロの「質」をあげるために圧倒的な練習の「量」が必要となる。諦めない心が生み出した「新しい気づき」である。確実な技として着実に自分の演奏に生かせるよう、これからも「地味で地道な練習」を大切にしていくつもりである。日常というあわただしい生活中にあって、50年間という長きにわたって「見果てぬ夢」を見続けることができたことは、私にとって望外の「幸せ」であった。「感謝」以外の言葉が見つからない。これまでも、これからも、全ての「事」「物」「人」に対する感謝の気持ちを肝に念じ、謙虚であることを忘れず生きていきたい。
さて、皆さんのギターにおける「見果てぬ夢」は、どんなところにあるだろうか。それぞれが、それぞれの夢を実現させるための力を蓄え、夢に向かって諦めない心で邁進されることを心から願っている。
2018.05.01
吉本光男