ギター上達コラム

         第38回  芸は形から」

 

 ギター界に限らず、世の中には様々なフォームが存在する。それぞれ自分が納得した基準で決めていくことだから、自分のフォームに「良さ」を実感しているということなのだろう。ギターで言うなら音の出具合とか、力の入れ具合がフィットする等である。また、時代の「はやり」や「思い込み」がフォームを決定づける主な要因になっている場合もあるだろう。

 

 今回のテーマはフォーム。私の場合は、どのような経緯で今のフォームに至り「形」として確立していったのかについて物語ろうと思う。

セゴビア奏法に傾倒していた私は、40歳を過ぎた頃に、セゴビアの高弟ホセ・ルイス・ゴンザレスの教えを乞うためにスペインに赴いた。半月に満たない短い滞在期間ではあったが、ゴンザレスから説明のしようのない不思議なアドバイスをもらった。そのアドバイスが「何を意味するのか」帰国後も、ずっと考え続けることになる。幸運なことに、セゴビアに関する資料を集めていた私の書庫には、彼が残したギター界の世界遺産ともいえる貴重なDVDが残っていた。地中海の見えるロス・オリーボスにある彼の別荘で収録されたものである。その中に「ヒント」が隠れているのではないかと思った私は、DVDを先生にして約3年間、「目」と「耳」と「心」を総動員し、細部に渡って分析・研究を続けた。

 

3年経ったある日、ゴンザレスがくれたアドバイスの意味がまるで天啓のように私の中に降りてきた。「芸は形から」という言葉が、深い意味と共にすとんと落ちてきたのである。詳細を言葉で伝えることは難しい。ただ、これまで私が弾いていた弾き方とDVDで学んだ弾き方との違いが、演奏時の音色の違いとして、はっきりと現れてくることを理解したのである。人はこの音色の違いをどのように感じるのだろう。検証する必要があった。

 

私は、教室に通う弟子たちを含め、ほぼ100人の人に「以前と以後」2種類の弾き方を聴いてもらい、その感想を聞いた。ただ一人を除き、全員が「後者が良い」と答えた。100人目の検証が終わったとき、私の「セゴビア奏法」への確信は、絶対的な信念となり、その後の私の演奏の確固たる指針となっていったのである。

 

勿論、よい演奏はフォームだけで決まるわけではない。心に届く演奏に向かうとき、さらに細かい問題が存在するが、まずはフォームを決めることが基本であるということだ長いギター歴の中で、自分では良いと思っていた奏法がまるで反対になったり、素直に取り入れることでもっと良くなったりしてきたことが多々あった。心を柔軟にして謙虚に、幅広く学ぼうとする真摯な姿勢こそが、確かな「上達への道」に繫がっていくということだ。以前は、ノイズのない美しい音で弾けたという実感はあっても、背筋がゾクゾクする感じはなかった。改良後は、時折、自分の音色に鳥肌が立つほどゾクッとすることがある。コンサート後の感想の中にも「心の奥深いところに秘めた大切なものを思い出させてくれるような演奏」という声が聴けるようになったのは嬉しいことだ。

 

まさに、ゴンザレスに受け継がれた「セゴビア奏法」が、ギターの魅力を最大限に引き出す本物の奏法であるということの証左であろう。「もう古い」「時代遅れ」という言い方で、ギター本来の魅力・ギター演奏の神髄に迫る「セゴビア奏法」が排除されてしまうというのは、何とも寂しい話である。ギターを「芸術」にまで引き上げたセゴビアの偉大な働きがあって今の私がいることを強く思う。追いかける偉大な先人がいることに感謝すると同時にまた、終わりのない「ギター道」について共に語り合い、共に歩く仲間がいることはなんと嬉しいことであろうか。

                        2017.11.01

                         吉本光男