ギター上達コラム
第31回 「ギター」との対話
「ティータイム・ギターコンサート」が3月19日に終わり、当分の気がかりであった「自身のコンサートの仕事」もひと段落。気分的にはほっとした時間の中にいる。
今月の「上達コラム」は、久しぶりのギター談義である。
私は、若い頃から「ホセ・ラミレス」の優美で華やかさのある音色に魅力を感じていた。だが、決定的な確信が持てるものに出会うこともなく、様々にギター遍歴を重ねてきたものだ。やがて40代後半頃になると、コンサートの時はもちろんのこと、「アルバム2」「アルバム3」でも、常に「ハウザー」を使うようになっていた。因みに「アルバム1」は1900年製の「マヌエル・ラミレス」による録音である。
現在使っている1980年製の「ハウザーⅡ世」は、他の「ハウザー」に比べて異常に表面板が厚い。その為かひどく頑固で、買った当初は嫌になるほど思うに任せない所があった。だが、頑固でままならなかった楽器ではあったが、他のどの楽器にも及ばない「凛と澄み切った孤高の音色」という一点において私の心をつかんで離さなかった。その結果、長きに渡って「対話」し続けることとなり、ついには最も深く馴染んだ特別のギターとなっている。縁とは不思議なものである。それはハウザーの真骨頂!に触れ、こちらの本気度が試されたともいえる運命の出会いであったと思っている。
さて、何やらほっとした気分の3月下旬。7年前、気になって買ったもののお蔵入りとなっていた1966年製の「ラミレスⅢ世」に再び挑戦しようという気になっていた。もともと音色が気に入って買った「ラミレス」だったが、弦高が高く弾きにくいということもあって、本気で弾くこともなくお蔵入りとなっていたのだ。気になり始めて3日目の夜のこと。「ラミレス」との真剣対話を通して再び気づかされたことがある。「当たり前」といえばそのとおりなのだが、それは、「楽器というものは、弾き手によって魂を吹き込まれ、弾き手の思いに応えて命の限りを紡ぎ出す」ということだ。
ケースから出した「ラミレス」を慈しむ心できれいに磨きあげ
語りかけながら新しい弦に張り替えた。そして、『秘めている
”よさ”が引き出せますように』と心を込めて一心不乱に弾き続けた。弾き始めて3日目。何ということだろう。今まで「弾きにくい」と決めつけ、本気で弾き込むことのなかったラミレスが、私の思いに応えこれまで聴いたこともない「得も言われぬ優美な音色」で輝きだしたのだ。弾き手の思いに応える「命の息吹」をはっきりと確信した瞬間である。
こちらが魂を込めて本気で弾けば、ギターもまたそれに応えて頑張るのだ。理屈抜きの熱い感動が走る。「ギター」との対話もまた人と同じだ。本気の熱と誠が試されている。
2017.04.01
吉本光男