ギター上達コラム
第28回「”続ける努力”を超える才能はない」
2017年元旦。今年の抱負を書き初め、気持ちを新たにするにふさわしい1日である。上達コラムの新年号は、この言葉から始めてみよう。
『続ける努力を超える才能はない』
飛び込んで来た言葉がフォルテシモに輝きを放つ時がある。
それは、その時に置かれた状況の違いや年齢によることが大きいのだろうが、そもそもは受け手が積み上げてきた感性によるものが大きいのだと思う。半世紀以上も営々とクラシックギター演奏に関わってきたからなのかもしれない。この言葉に出会ったとき、胸の奥の大事な何かを鷲掴みにされたような気分になった。だが、そこに小さな違和感があったのも確かだ。
続けてきたのは、ギターが本当に好きだったからだ。続けることに対して「努力」という言葉は少し違う気分がある気がしたのだ。むしろ、どんな時も弾きたくてたまらない思いが私を突き動かしていたように思う。だから、小さな違和感をずっと残したまま、それでも胸の奥から離れずにこの言葉が居座り続けているのだ。この言葉には、百億万人の応援団が「未来」に向かって沸き立つように旗を振っている力強さがある。明るい気分を運んでくれる。元旦の今日、再考するに相応しい言葉だ。
11歳でギターに出会って、これまでの人生のほとんどをギターと共に歩いてきた。考えてみれば、この道はやはり意識としての「努力」がなければ続かない修行道であったように思う。
「好き」だけでは越えられない壁もあったし、時には激しく突風も吹いたりした。振り返って、私にギタリストとしての才能があったかどうかも {?} だ。そんな中で、努力を「努力」とも思わず、「続けることを止めないでいられた」ことを思う時、そこには続けてこられた「有り難い環境」と、出会った「人・物・事のお陰」があることに気づかされる。御恩とお陰の有り難い土壌があればこそ語れる名言だと言える。
「続ける努力を超える才能はない」という言葉が示すとおり、実際の行動としてやり続けるという事はそれ程に途轍もなく難しいことなのだ。有り得ないほどに難しいことだからこそ、結果として「才能が拓く」ことになるということだ。つまり、才能というものは、「ある」のではなく、諦めずにやり続けることで「育んでいくもの」であることを教えてくれる貴重な言葉ともいえるだろう。
「ギター上達コラム」を書き始めて3年。これを超える意識改革のための名言はないかと思うほど、力を持った言葉である。
が、人間はまた忘れる天才でもある。手を変え、品を変えて書き続けていくしつこさもまた必要である。今年も上達へのこだわりを見極めつつ、「技術」と「意識」の両輪を磨く道筋を探し続けていきたい。それにしても、好きを楽しみ、好きを育て、好きを究めるこの道を、共に歩いていく仲間がいることは、有り難いことである。今年も、「日本ユニバーサルギター協会」の活動を通して、それぞれが目指す境地を切り開いていくためのお手伝いをさせてもらえるなら、こんな嬉しいことはない。
2017.01.01
吉本光男