ギター上達コラム
第25回 「嬉しい・楽しい」から「面白い」へ
クラシックギターは、楽器の中ではかなり難しい部類に入ると言われているが、その豊かな音色こそが最大の特徴であろう。小さく澄んだ柔らかな音色、熟して飛び散る果実のように艶やかな音色、腹に届く粘りに満ちた不敵な音色、石畳を舞う枯葉のように憂いのある音色、等々。
こちらが求めさえすれば、求める熱量に応じてどこまでも応えてくれる優れものの楽器だ。美しさへのあらゆる可能性を秘めたクラシックギターの魅力の奥深さを思うだけで目が眩む。
さて、最近、初心者の方がギター教室を訪問されることが続いている。CDで聴いたギター演奏の魅力に心動かされ、自分で弾いてみたいという思いに駆られ来訪したのだと言う。一期一会、偶然の出会い、その縁を生かすことが出来れば幸いである。
習い事というのは、” はじめは誰でも初心者 ” で、ギターを持ったからといってすぐに「楽しい」と思える境地に立てるわけではない。それなりの苦しい時期も乗り越えなければならない。それでもギターが持つ
「音色」の魅力に気づいたなら、1音、1フレーズでも十分に楽しい時間を持つ事ができ、単調な練習の中に「嬉しさ」や「楽しさ」を発見することが出来るだろう。自分自身の事で言えば、わずか4小節のメロデイーでさえ、1時間でも弾いていることがよくある。その曲の良さとギターの音色に魅せられて。そんなパッセージは何度繰り返しても飽きないし、楽しい、そしてその響きの中に存在出来る事が実に嬉しい。
初心のこの時期、良い先生に出合うことは重要なことだ。一歩一歩、地道な基礎基本の繰り返しが必要な時期だけに、教えられた「基礎・基本」が今後その人の演奏習慣として定着していってしまうからである。
どの場合でも初めの一歩は大事であるが、技術の習得が難しいギターの場合、特に、特質をよく理解し、その魅力を引き出す為のより良い技法が分かり、継続していくための意欲が持続できるよう導いてくれる先生の存在は、想像以上に大きい。
私の場合、ギターを習いたての頃は、指導して頂いた先生の意向で沢山の " 本物を聴く " 機会に恵まれた。当時来日した世界的ギタリストの演奏をじっくりと聴くことが出来ただけでなく、直接アドバイスをもらう機会まで作っていただいた。そのときに聴いた本物の音色は細胞の奥まで浸み込み、今も演奏家としての自分を支えている。ただ、6本の弦で表現する音色の魅力を実際の演奏に生かすとなると、「楽しい」などと言ってはいられなくなる。それでも、千本の杭を打ち込むだけの根気とあきらめない情熱があれば、どんな初心者でもアマチュアでも「弾けて嬉しい」「楽しい」から「弾くほどに面白い」ステージへと上昇することができるというのもまた事実である。
ギターの多彩な音色に魅力を感じ、実際の自分の演奏に生かすという目標に向かって進んでいく人たちへのお手伝いが出来れば嬉しいと思う。
出会いを求めて来訪された初心者の方との縁を大切に、人生をより豊かに楽しむ仲間としてお互い成長できるよう、日々精進していきたいと考える今日この頃である。
2016.10.01
吉本光男